はじめに:愛着もなにもなかった場所
親は転勤族。転々とした結果、「色んなところに行きやすいから」という理由で親が選んだのが、今の地元です。
元々は、愛着もなにもない地元でした。
山の中で野山を駆け回るような田舎でもないけれど、特筆して何があるわけでもない。
学校もスーパーも病院もあって、暮らすのに困ることはないけれど、ときめきもない。
そんな「なんとなく暮らしやすい」だけの地方の中核都市。
「ここから出れば、私は自由になれる」
そう信じて飛び出した私が、なぜ今、この場所に戻って「幸せ」を感じているのか。
それは、私が自分の「弱さ」と向き合い、それを許してくれる「環境」と「人」に出会えた物語でもあります。
自由と引き換えに手に入れた「絶望」
親の過保護を断ち切るようにして出た都会。
知らない友人、アルバイト、初めての一人暮らし、初めてまともに付き合う彼氏。
最初は、とにかく自由が手に入ったことが楽しくて仕方ありませんでした。
でも、すぐに躓きました。
アルバイトが、どうしても続かないのです。
「やる気がない」わけじゃない。むしろ人一倍責任感を感じていて必死でした。
なのに、マニュアルを見た瞬間に文字が頭から滑り落ちる。雑音の中で指示されると、言葉が音としてしか聞こえなくなる。
何十回クビになったかわかりません。
「できない」の差が激しすぎる
某アイドルのグッズ販売のアルバイトでは、長蛇の列と熱気とスピードに脳がショートして、気づけば倒れて救急搬送されていました。
その一方で、家電量販店で大きな声を出して呼び込みをして、家電の説明をしたりする仕事は評判がよかったりと自分でもよくわからないのです。
「できること」と「できないこと」の差があまりにも激しすぎて、私は自分が何者なのか分からずにいました。
診断、そして8年間の孤独
「発達障害(ADHD)と、双極性障害」という診断がついたのは、当時の彼の親のすすめでした。
診察室で、私は泣き崩れるほどホッとしていました。
私がダメな人間だからじゃない。理由があったんだ。正体のわからない怪物に怯えていた日々に、ようやく名前がついたのです。
診断がついたことで、当時の彼とは一度お別れしました。
彼も疲れ切っていて若かったのもあり彼が上京するタイミングで別れました。
それからの8年間は、私にとって孤独な戦いでした。
私にとって合う仕事を探すのは中々骨の折れることでした(幸い、情報関係の勉強をしていたのでWebデザインのお仕事についたりはできました)
日常生活も敏感で、体調を崩したりうまく生きれないと感じることが多い生活でした。
「また同じ失敗を繰り返すんじゃないか」
「私を理解してくれる人なんていない」
そんなトラウマが消えず、誰かと付き合おうとしてもうまくいかない。
友人関係も恋愛も人付き合いそのものが怖くなり、誰とも深い関係を築けないと感じる場面が多く時間だけが過ぎていきました。
「気の持ちよう」という残酷な言葉
転機が訪れたのは、世の中がコロナ禍に包まれた頃です。
8年という長い月日を経て、私はかつての彼と再会し、復縁することになりました。
「彼なら、私のことを知ってくれているかもしれない」
「当時私が足りなかった分成長を見せてちゃんと付き合っていきたい」
そんな淡い期待は、しかしすぐに打ち砕かれました。
彼は、私の抱える苦しみをこう言ったのです。
「気の持ちようだよ。もっとかたつむりならやれると思う」
彼は優しい人でした。でも、見ている世界が決定的に違っていた。
私が8年間抱えてきた「できない」もがき苦しみを、彼は「気持ちの問題」としてしか捉えられていませんでした。
その言葉を聞いた瞬間、自分の中に答えがでました。
ああ、私たちは別の方向を向いている人間なんだ。
この復縁は、それを確認するために必要なことだったんだ。
そう腑に落ちた私は、彼への未練を今度こそ完全に断ち切りました。
逃げるように帰った、かつての「退屈な場所」
コロナ禍の現実が追い打ちをかけました。
ようやく見つけた「自分にできる仕事」はコロナ禍の影響で消え、アルバイトで繋ぐ毎日。
扁桃炎をこじらせて高熱を出しても、医療崩壊の中で病院にかかることすらできない日々。
見つかったときには中々酷く疲弊してしまって、入院することになりました。
「もう、ここで戦うのは無理だ」
身も心もボロボロになり、逃げるように実家へ帰りました。
以前は「何もない」と敬遠していたその場所。
でも、両親の作る温かい食事、静かな夜、ゆっくり流れる時間。
私を癒やしたのは、かつて退屈だと思っていたこの街の「余白」でした。
私が帰ってすぐ、両親は諸事情で移住することとなり私は実家で訪問看護の看護師さんに来てもらってリハビリを重ねました。
眠れない夜の出会いと、一回り下の彼
少し動けるようになった頃、私は昔行きつけだったダイニングバーのオーナーさんと偶然町中で出合いました。
体調を壊してることやリハビリしてると伝えるとお祝いに遊びにおいでとお誘いを受けて顔を出しました。
恋愛なんてするつもりはなく、自分の今でいっぱいいっぱいだったあの頃。
ただ、眠れない夜の不安をかき消すために、たまに通うそこは私にとってリハビリの一つでした。
ある日、オーナーの計らいで隣に座ったのが、今の夫でした。
私より一回り近くも年下の、少年から青年になる年頃のような若さに溢れる目をしていました。
もちろん、恋愛対象としてなんてみていませんでした。
歳が一回り近く離れていそうな彼に、私は気を遣って話していました。
常連さんか何かだろうから失礼なく当たり障りのない会話をしようくらいの気持ちです。
私の周りには、久しぶりに帰ってきた私や珍しいお客さんだと思って少し興味を持って連絡先を聞いてくる人もいました。
彼は、そこに割って入るようにして私の連絡先を聞いてくれたのです。
「みんなで交換しましょう」と、その場は穏便に終わりました。
けれどその後、彼から届いた個別のメッセージを見て、私は息を呑みました。
「ご飯を一緒に食べてくれませんか?
オーナーから、少し体が弱くて帰ってきていると聞きました。
だから、無理しなくていいので。
もしよければ、どこかお茶したいです」
丁寧に丁寧に綺麗な文章で、お伺いを立ててくる連絡。
他愛もない会話のLINEがたまに来ます。
敬語を使って、大丈夫ですか?と丁寧な文章です。
「結婚してたら、病気になることなんてこれから先ありませんか?」

彼からの丁寧な連絡を、私は最初、適当に返して避けていました。
「嫌いになってくれたらいいのに」
そう思っていたからです。
自分はボロボロで、仕事もなくて、障がいもある。
そんな自分が、これから未来ある若い彼の足を引っ張ってはいけない。
それでも彼は諦めず、とうとう会うことになりました。
私は決意しました。ここで突き放そう、と。
「こっちの勘違いだったら悪いんだけど……君はまだ若いし、将来のこととかちゃんと考えたほうがいいよ。私は、辞めといた方がいいと思う」
すると彼は、私の目を真っ直ぐ見て、とんでもないことを言ったのです。
「俺、次付き合う人とは結婚したいと思ってて。年齢が離れてるのも知ってます。俺と結婚を前提に付き合ってくれませんか?」
あまりにも唐突な言葉。
私は、隠していた自分の「ダメなところ」を全てさらけ出しました。
「あのね。私発達障がいなの。他にも色々抱えてて、体調もすぐ壊すし、仕事もなくなっちゃって今はしてない。訪問看護の人に来てもらってやっと日常生活が送れてるの。だから……私は、恋愛したり結婚したりしていい人間じゃないよ。ごめんね。ありがとう」
言った。これで終わった。そう思った私に、彼は静かに、でも力強くこう返しました。
「結婚してたら、唐突に相手が病気で働けないこととかありませんか?」
彼は続けました。
「何が辛いとか、俺分かってやれないけど。あなたが今まで経験したこととか、軽率に理解したフリはできないけど」
「俺は、あなたに働くこととか、子供がほしいとか、そういうことを望んで好きになったんじゃなくて」
「あなたが目の前のことに一生懸命生きてる人だって、最初話したときに分かったから」
「だから付き合ってくれませんか? あなたを少しでも理解したいです」
おわりに:地方都市に暮らして、幸せになったこと
私は呆気にとられて、気づけば頷いていました。
「ただ、一生懸命生きているあなたがいい」
その言葉は、私がずっと自分自身に一番言ってあげたかった言葉でした。
ずっと「普通」になろうとして、「できない自分」を責め続けてきた私を、彼は丸ごと受け止めてくれたのです。
今は婚活だとかスペックだとか、平等だとかそんなことばかり聞く時代です。
だから私に人と巡り合う権利がないと思っていました。
私が人を愛する権利がないのだと思っていました。
そんな垣根は彼には関係がないと言いのけるのです。
今、私はこの地方都市で、夫となった彼と暮らしています。
都会のような刺激はありません。私がバリバリ働いているわけでもありません。
でも、ここには私のペースで息ができる空気と、私の「弱さ」を愛してくれる人がいます。
もし、あのまま都会で戦い続けていたら。
もし、自分の「できないこと」を隠し続けていたら。
この幸せには出会えませんでした。
「何もない」と思っていたこの街が、傷ついた私を休ませてくれた。
そして、何よりも大切なパートナーに出会わせてくれた。
弱いままで、完璧じゃないままで、幸せになっていい。
この街の広い空を見上げながら、今、心からそう思っています。
このブログではそういったこの街の暮らしの余白から、日常のすみごこちをよくする暮らし方や便利なデジタルガジェット活用を紹介していきます。

